今朝NHKのあさイチで墓仕舞いの特集をしていました。お墓とは肉体から離れた魂の休む場所を担保する仕組みと私は考えています。
私の実家は江戸時代から臨済宗妙心寺派の檀家で、私で7代目になります。去年本堂新築に一口55万円の布施を求められ父が払いました。お披露目会には檀家さんがご祝儀を包んで参加しました。
広間の壁には布施を払った檀家さんの札がずらっと掛かっていて、まさに公開処刑。大口(300万円以上)檀家さんは上の段に札が掛けられています。(払わされた感満載)
今後のこともあるので、父に戒名代のことを訊ねると夫婦二人で80万円といわれたとのことです。私に維持管理能力がないので合祀するには100万円かかると住職にいわれたそうです。
離檀はできないけれど、他の方々と一緒のところに遺骨を収めてくれる。しかしその費用が100万円。
ビジネス仏教と揶揄されても仕方ないですね。まぁ墓地管理と寺院運営をやらなければならないので、非課税法人であっても「仏の教え」だけで食べていけるはずもありません。それは綺麗事でしょう。
けれど有難い教えを一般に広める活動もせず、墓石メーカーさんと区画販売のセールスばかりしていても、新しい檀家さんが増えるはずもないでしょう。
もう昔の家族制度と同じ価値観ではありません。供養のやり方も人それぞれでよくて、正解もなにもないのです。手元供養が流行っているのも、滅多にいけない遠くの墓地より、常に傍で存在を感じていたい人が多いからではないでしょうか。
墓仕舞いは責められることでもなんでもないと思います。さもご先祖様を大切にしてないみたいな捉え方をして「そういうものだから、今までもこれからもずっとそうだから」とNHK解説委員の柳澤さんみたいな人が大半だろうと思いますが、それは個人の価値観です。
私も幼少から当然自分が跡継ぎという自覚のもとこれまで生きてきました。しかし日頃なにもしない、先祖を敬う気持ちなどない人間に限って、お彼岸とお盆の時だけ急に信心深いふりで、したり顔でモノをいうのです。
今を生きることを大事に、日々の暮らしのなかで「形」に拘るのではなく、心から生かされていることに感謝できれば、それが魂の休まる場につながると考えています。
けして墓地の購入を反対しているわけではありません。弔い方、供養の仕方は人それぞれなのですから。