父の従兄弟たち(祖母の妹の子供達。祖母の妹は若くして他界)が戦後満洲から引き揚げてきて我が家で育ちました。
父の突然の旅立ちですべての人にお知らせが行き届かなくて、私が不在の折にお悔やみが届いていました。
私の祖母に我が子のように育てられた恩義を七十年以上経っても忘れることなく、お盆やお彼岸のお墓参りや中元歳暮を欠かさない人です。
一緒に引き揚げてきた兄姉は既に他界しひとりぼっちになってしまった。だからあなたのお父さんを最後のきょうだいのように思っていた。
そして父の姉妹たちの健康状態や、婿養子だった祖父の実家のことなど案じていました。
日本が敗戦したことを知らされず、関東軍にも見放され棄民となりソ連軍が侵攻してきて父親はシベリア抑留され生き別れに。
きょうだい三人で我が家に辿り着いたのが昭和21年6月13日。
年明け早々に電話しても出ないだろうな、と思っていましたが思いがけなくお喋りができて、しかも彼のお兄さんが自費出版で出した本をちょうど読んでいたので背景も理解できていて助かりました。
私が現在中国語を教わっている先生のおじい様も満蒙開拓団で遼寧省で暮らしていたと聞いて、なんだか不思議な繋がりを感じました。