先日、甲信地方の方と話していて地域に「貯金会」という不思議な組織があると聞きました。つまり互助会ですね。
私の地元宮城県にも契約構という集落ごとに冠婚葬祭を助け合う仕組みがありますが、他所から若い人々が流入してきて高齢者の方だけで細々やっているようです。
何年かに一度、持ち回りで自宅を開放して構成員を接待するのですが(寄り合いという)お互い様だから飲食代もこちら側が全て負担する決まりでした。私の実家はその為に続き間に増築したほどです。そう!それがゴミ屋敷の始まりだった(笑)
さて甲信地方の貯金会には、地区や学校ごとの「組」と呼ばれる更に細分化された組織があり、皆さん複数に所属しているそうです(毎月の積み立てもそれなりに負担)
高齢者ばかりでなく若い人々も構成員で、いかなる用事よりも貯金会の行事最優先なそうです。「仁義」を求められるのでしょうか。
いつでも帰れる場所、迎えてくれる人がいるという拠り所はお金では買えません。しかし縛りがキツく県外の異なる文化に馴染んで外の世界にも友人ができると、そのコミュニティだけに所属している事が苦しくなってきます。
自分の居場所は自由に選んでいいはずなのに、義務で参加を強要されると辛いですよね。
その世界から一生出ずに生きられる為の互助システムがむしろ負担になり、外に生きる場を求める人がいても不思議ではありません。
追いかけたり引き留めたりするのもどうかと思います。
ずっとこうだったから、これからもずっとこのままで。という願いがわからなくもないですが、柔軟に変化を楽しむほうに切り替えられると、更に良い仕組みになりそうですが。