先日ある人とお喋りしていて、幼少期に躾と称する暴力を受けたことが未だにトラウマで両親と和解できないという話題になりました。
あれ、それ私も思い当たる節があるけど?
母は今でこそああですが高校生ぐらいまで私をグーで殴ってました(笑)って、それは私に非があるの?
私が父からなにかで咎められても庇うでもなく2人で責め立てる。こりゃ敵わんわ。
子供の逃げ場を取り上げてはいけないでしょう。
いつの頃からか本音を話さない、上辺だけの関係性になっていきました。
上手くいっている他所の家庭が羨ましかったなぁ。
そしてさりげなく距離を置きつつ、物理的にも心理的にもどんどん離れていきました。
当時の自分にとって我が身を守る最善の策がそれでした。
私にべったり依存してくるくせ思い通りにしようという手口に我慢がならなかったのです。
どうやら本人たちはまったくの無自覚だったらしく呆れてモノも言えませんでした。
紆余曲折を経て母が認知症になり介護という現実に向き合わざるをえなくなり、立場が逆転したことで私の中の嫌な気持ちが少しずつ溶けていきました。
他者を攻撃せずにおれない人種というのは確実に存在します。
それが他人ならまだしも、実親ともなると離れるか相手が高齢になってこちらの言うことに従わざるをえなくなるのを待つしかないでしょう。
満たされない思いや不足感をなんとか埋めようと、友人や自分の家族に理解を求めて固執したところで思うような結果にはなりません。
時期がくるのを待つよりない
というと身も蓋もないのですが、それも1つの方法です。
冒頭の方は私と話して少し楽になったようでした。
相手から押し付けられた役割を演じる必要はない。
大人になっても抑圧され続けて自分の人生なんだったのだろうと言ってましたが、自ら抑圧されることを選んでいたかもしれないよ?視点を変えてみては?とお話ししました。
そろそろ自分で自分を解放して楽しく生きて欲しいものです。
生きているうちの和解が理想ですが、できない人もいますしね。
できなかったらそれはそれで仕方ないですね。
和解が必ずしも正解とも限りませんし、自分がどう生きたいかを大切にしたいですね。