均質すぎる社会の未来
今はやりの某ニュータウン、駅前に保育園のお迎えステーションがあり都心までのアクセスもよく広めの戸建てやマンションが若い世代でも手が届くとのことで脚光をあびています。
同じような年齢、年収で構成された新しい街は大型ショッピングセンターや文化施設も充実していて豊かな暮らしを連想させますよね。でもこの年代がいっきにリタイアしたあとの税収はどこから入ってくるんだろう。私のような素人ですら道路や水道などインフラの維持費の出どころが心配になります。
みな同じように老いていき子供たちは巣立ち地方の田舎のように跡を継ぐなどという感覚は持ち合わせていない。かつ同居できる広さはない。いずれゴーストタウンになるのでは⁇
今楽しく暮らしている住民はこの街での恩恵を存分に受けたあと老後はさらに自分に都合のよい土地へ移るフットワークの軽さがあるのでしょうけれど、移動できない人はそのまま残り高齢者ばかりの街になってしまうんじゃないのかな。これも既視感しかなく〇〇ニュータウン、〇〇台など過去に人気だった造成地はどこもそうなってますよね。先日の田中康夫先生の車座集会のときも話題になりました。
新しい駅をつくりその周辺を開発するやり方は新規住人でいっときは賑わうけれど、まさに世代分断で自分より若いまたは上の階層がなにをどのように考えているのか接する機会すらないでしょう。私など地方の田舎出身ですからなん代も前からおつきあいのあるお家や遠戚も多くその柵(しがらみ)が面倒でしたが歳をとるとまさかそれが自分の救いになるとは計算外。
どっちがいいとかじゃないですが、あるいっときだけ便利で通りすぎる街と先祖代々の関わりのなかで生かされている感覚が持てる場と自分がそのとき求めるところで暮らすのが理想ではあります。