立て続けに両親が他界し住職と話す機会が増えました。
江戸時代からの檀家ですし、先代住職からよく知っていてしかも中学の先輩ですから気負った話題にはなりません。
主にうちの庭木の多さと雑草との格闘がメインテーマで、どこまでで妥協するか?という話になります。
やっている人ならご理解いただけると思いますが、自然相手なのでどこをゴールとするか、どこでよしとするかは自分次第です。
自分が消耗しながら剪定や落ち葉集め、草むしりを頑張っても、できていない人を責めてはいけません。
それこそ人それぞれなのです。
庭仕事は臨済宗の作務(お寺のおつとめ)の1つでもあり我を忘れて没頭できるほどの作業です。
この時間は一切の煩悩から解放されるともいえます。
まぁもちろん、これが済んだらシャワーを浴びて美味しいものを食べてお昼寝しよう、というようなささやかな欲は否定しませんし先の楽しみがあるから頑張れるともいえます。
草むしりに没頭しているときはまさにマインドフルネスの境地で、この集中の仕方は他ではありえないほどです。