価値があるという思い込み
今となれば笑い話ですが母が認知症とわかった当時は幼少期の嫌な記憶やらこの先の自分の未来が閉じて行くイメージが湧いてきてかなりもがいていました。発症から13年ぐらいは生きるらしくそのあいだを介護に費やすとなると自分の人生が詰んだと思いました。
母の病状を受け止めず周囲に隠し通そうとする父とのやりとりがしんどくて逃げたいばかりでした。引きこもり気味だったのからようやく社会復帰しようとしていた矢先に介護じゃもうおわりでしょ。
それでやたらセミナーやらワークショップやら坐禅会など藁にもすがる思いで参加しなにかやったような気になっていたのです。それらを否定するつもりはありませんがそもそも自分がととのっていれば必要ないですからね。自己啓発めいたお勉強ごっこで目先を紛らせていたんでしょう。立派な肩書きの人のおはなしをありがたがる前にやることがあるのに病気と老人の親しかそばにいなければ依存してしまいます。
自分の外側にある正解に寄せていくような感覚が長かったのですが両親を見送った今はすっかり覚醒したようです。なんかうまく言語化できていませんがもう少し深掘りできたらまた発信するかもしれません(笑)この感覚わかる人にはわかるはず。