のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

国に従って国に棄てられた人々

満蒙開拓団を知ってほしい

国策で中国大陸へ移住した人々の末路をご存知でしょうか。うちの叔父はたまたま帰国できましたがそれが叶わなかった人は捕虜になるより集団自決を選びました。

info.dual-life.site

info.dual-life.site

おじいさまが長野県河野村村長のお孫さん、胡桃澤伸(くるみざわ しん)さんのドキュメンタリー視聴とおはなしを聴いてきました。おじいさまは大陸へ住民たちを送り出した立場でしたが河野村分村の集団死という現地の報告を聞き責任を感じて戦後自死されたとのこと。

f:id:nozosan-net:20240129084131j:imagef:id:nozosan-net:20240129084138j:image

おじいさまの日記が残っており孫の伸さんが当時の心情を紐解いていく様子を映像におさめています。地主の胡桃澤家の当主だったおじいさまは筋肉労働を伴わず財を築くことの意味を考え年貢の取り立てに躊躇していることなどが綴られています。

 

長野県からの大陸移住者数がなぜ日本一だったのかは、全国知事会で当時の長野県知事昭和天皇に開拓事業に邁進するとこたえたからだとはじめて知りました。不利な戦況を知らされず戦後は関東軍に置き去りにされ棄民となり集団自決を選ばされた人々への補償はありません。残留孤児になった人も多数います。

 

帰国事業で帰ってきても住む家もなく言葉もわからず大変な思いをしている人もすでに高齢で声をあげるには遅すぎます。私の中国語の先生のおじいさまも幼少時、移住し20年ほど前に帰国しましたがやはり言葉は不自由なようです。現地ではぐれた親御さんはすでに新しい家庭を築いていました。

 

戦争で辛い人生になるのはいつも市井の人々です。まずは正確な歴史を知ることが大事ですね。胡桃澤さんは「祖父を美化しないでほしい」と語り当時の心情に向き合い現地で亡くなった人々に花を手向け焼香するシーンで映像は結んでありました。おすすめの書籍は帰りの電車で半分ぐらいまで読みました。いずれ読後感など書くかもしれません。↓