日本人を移住させる計画
長野県から満洲への移住者数が日本1だった理由がわかりました。戦前土地を持たない人々が大陸へ渡れば地主になれるとの国策で現地の中国人の耕作地を強奪する形で手に入れ豊かな暮らしができる予定でした。
全国知事会で昭和天皇が当時の長野県知事に移住の状況を訊ね「目下満洲にある県民は開拓に懸命の努力をいたしておりますが県におきましても後続部隊の養成練成に万全を期しておる次第であります」とこたえそのとおりに進んでいったようです。
食糧事情のよくない当時の状況で満洲に分村し移住者たちが残した耕作地を残った人々が共同で管理収穫するという、そこだけ聞けば都合のいい計画です。そんなうまい話ってあるんでしょうか。移住というけれど植民地支配ですよね。日本がつくった傀儡国家に満洲族皇帝の溥儀を据えてなんの権限も与えない。
長野県や学校、市町村ぐるみで移住者を募りノルマのように推進していった結果が移住者数全国1位だったようです。戦後引き揚げてきた人々は土地家屋を処分していったから住む場所もなく言葉も不自由な状態で救済措置もなく辛い生活を強いられていたようです。
善光寺参り↓
五族共和と謳いながら日本人がいちばん偉いという構図で大陸を支配しようとしていた。このあたりは近代史でも触れず習わないんじゃないかな。精神科医・劇作家の胡桃澤伸(くるみざわ しん)さんからこちらの本をご紹介いただき感謝しています。