おわかれが近づいてる
お盆が近づき墓地や仏壇のチラシが多くなりお花屋さんでは供花、仏具屋さんでは飾りものの種類がふえますよね。先祖供養をするのは現世をいきる我々にとって感謝をかたちにするよい機会です。あ、そんなの関係ないですとかいう人がいてもそれはそれ。「誰かがみている」という感覚はもったほうがいいというのが私の意見です。
うちはたまたま江戸時代からつづく家で菩提寺の檀家(お寺のスポンサー)でもあることから幼少から回忌法要などの仏事をしっかりやってきました。お布施やお供え、お花の準備と法要膳やおみやげ、遠くの親戚の宿泊準備など母の苦労は大変なものでした。当時ビジネスホテルもなかったですからね。私にはできないことです。

そんな母とはある時期から折り合いが悪くなり仏事の参加もしなくなりました。しかし私の生活が破綻し母が認知症を発症したことで母のお役目がまわってきたのです。もともと本家の家督ですから当然といえば当然。逃げ回ったところでどこまでも追いかけてきます。母との意思疎通がきちんとできたかは疑問ですが拗らせた関係性は皮肉にも病気の発症により和解したかたちになりました。いま思えば絶妙すぎるタイミング。くわえて私は毎月介護帰省するよい娘という評価までされ思いもよらない結果となりました。
本音では親との関係性をどうにかしたいと長年思いつつなし崩しの人が多いのでは。忙しいから、はなしてもものわかれになるから、かえって不愉快な結果になったなどもう諦めている人もいるでしょう。しかし拗らせたまま今生のおわかれをするとずっとやましさを持ち続けることになるのでは。それでいいならそれもありですがね。お盆にお墓参りするついでに実家に立ち寄りちょっとお話したら気が楽になるかもしれません。
最期までそれができなかった私のきょうだいは、親となんねんも言葉を交わすことなく介護も看取りもせず逃げ切りました。来世に宿題を持ち越す後悔はないのかな。それすらも自分で選んでいるのでしょうけれど。