大ファンの尹雄大さんの文章講座に参加しました。
この人の前で取り繕った言葉を発してもすべて見抜かれてるな。
以前からそう思っていたので、SNSで絡むのもご本人とお話するのも緊張以外のなにものでもなく、かといって素のまま接したらアホがばれるという葛藤がありました。
でもどうしても受講したかったので名古屋まで出掛けてきました。
著者を何冊か読み一つ一つの言葉の選択があまりにも胸に刺さってくるので、殆どのページが付箋だらけで他の参加者さんに驚かれました。
以前にも別の講座を受講していて未消化のまま当日を迎えたわけですが、文章の基礎体力といいつつ上手く書けるスキルの伝授ではないということわりがありました。
まず上手く書こうとしない。
自分がなにを観ているかを知ることが大切。
なにに関心を持っているか、まず自分に対して明確にする。
といったお話でした。
「わかる」とは認識(明) 文字情報での体験と把握(暗)想像や行間を読むの2つでセットなのだと。
つまり明るい場所で読める文字からの情報と、暗い場所で手さぐりしながら身体を使った情報ということですね。
把握(暗)で善光寺のお戒壇巡りを思い出しました。暗くて怖いからどうしても中腰で手さぐりしながら極楽の錠前を探します。
現代社会では明るい場所での情報優位になっていますね。
アングル (解像度)ムービング (引きと寄り)ガイド(読み手を導く順路、飛び石のようなもの)で構成されていると読みやすいよ、というお話でした。
そして謎の問いかけと回収が必要とのことでした。
よくやってしまいがちな謎を放り投げて回収しないパターンはあるあるです。
浮世絵を見ての感想という課題があったのですが、私の視点だと絵の解像度が低いうえに寄りも引きもなく、ストーリー展開がなくて謎は放りっぱなし。
そこへ上手く書こうとしない、という言葉がグルグルしてきて「結局どうすればいいの?」とさらに混乱するのでした。
混乱させるのがこの講座の趣旨に違いないようでした(笑)