地域の交差点になりたい
実家のピアノ教室が開業50年になるわけですが当初は祖父母が事務管理やお掃除をしていて手探り状態でした。高度経済成長期でしたから連日大勢の生徒さんが習いにきてくれて賑やかでしたね。ピアノがない日はエレクトーンやバレエ教室もやっていたのです。
運営は大手の楽器メーカーさんで空いている建物を使ってもらえてありがたかったです。月日は流れ祖父母が暮らしていた平屋にピアノを移動しバブルもはじけほそぼそと続けていました。その後母が認知症で介護が必要になり平屋を解体し教室を住まいの一室に移してグランドピアノを導入しました。こうすることで戸締りや火の元管理がしやすくなりした。
母の遠距離介護と並行して大家さん業もやり管理会社の担当さんと噛み合わないなどありましたが、今は講師さん、保護者さん、生徒さんとほどよい距離感で裏方をやらせてもらっています。父から引き継いだときは老々介護の我が家に若い人たちが入れ替わり来てくれる見守りの「仕掛け」も兼ねていました。今となっては私が不在でも回る小さなコミュニティに育ったと自負しています。最近は小学校時代の友人の娘さんが入会してくれましたしね。
ここまでくるのに半世紀の時間が必要でした。あの当時はこうなるとは夢にも思わなかったなぁ。