介護に必死だと視点を変えるゆとりすらなく、祖父が丹精込めていた樹木も負担でいずれ処分してしまおうと考えていました。
しかし父の突然死と母の入所で状況は一変し、もともとあった庭の草花に意識が向くようになりました。
日頃は近くに暮らす叔母夫婦がちょっとした雑務をやってくれています。
私は帰省したときに落ち葉を掃き集めたり、軽く剪定する程度です。
普段は千葉で暮らしていて今だとこういう花が咲いてるな、と感覚的にわかっていますが、地元と季節がずれているので見頃を逃すことも多々あります。
私の地元は梅や水仙は3月の終わりぐらいが見頃ですが、首都圏だと2月には咲いています。
帰省のタイミングで場合によっては2度楽しめることもあります。
桜や藤も然りで、こちらで見逃してもまだチャンスがあるのです。
最近は1日6000歩のウォーキングで道端の草花に目がいくゆとりもできて、季節の移ろいを感じています。そして2週間ほどで咲く花が変わるのが楽しみで、写真まで撮るようになりました。
以前の自分なら歩数や時間ばかりに囚われて、ゆっくり花を見るゆとりもありませんでした。
いま思えばなぜあんなに焦燥感があったのでしょう。
どうにかしなきゃ、なんとかしなきゃ、早くやらなきゃ。
いつもそんな気持ちでいっぱいでした。いまだからわかるんですけどね。