自宅周辺では警察の広報車が「青いシャツに黒いズボンの○歳の男性が○曜日から行方がわからなくなっています。お心当たりの方は○○警察までご連絡下さい」と放送しています。
ちゃんと聞いていて連絡する人がどのぐらいいるかわかりませんが、それでもなんのアナウンスもしないよりいいでしょう。
ただし徘徊者が発見されたかどうかの結果報告はないので「見つかってるといいな」と心のなかで祈っています。
警察に捜索願いを出すのは勇気がいります。ウチもそうでしたが、なんとかおおごとにせず内輪だけで片付けようとするので、探したけれどダメで最後の手段みたいな感覚だろうと思います。
届け出た時には、いなくなってから相当な時間が経過していると思います。
私が不在時、母が炎天下でいなくなり10時間後見つかったことがありました。親切な人がペットボトルのお茶を買い与えて手に持たせてくれていました。
そんなふうになってしまった母を見て胸が苦しくなりました。同時に家庭でみることの限界がはっきりわかりました。
もう無理なんだ
近所でデイサービスに通ってるのを知られたくないとか、どうでもいいプライドで家においていた父も介護サービスを受けるきっかけとなりました。
こうであってほしいとか昔はこうじやなかったとか、こちらの期待を勝手に押し付けられても相手にとってはいい迷惑です。
早く安心な場所を与えてあげられれば、びっくりするほど穏やかになって徘徊もなくなります。
現状を受け入れるよりないのです。