従兄弟の娘が急性心不全で急死したので、幡ヶ谷までお別れに行ってきました。
小さい頃から闊達で旅好きで元気な子でした。
シェアメイト(同居人?彼氏?)はいつも深夜帰宅で、異変に気づいた時はもう間に合わなかったようです。
去年、彼女の祖父(私の伯父)の葬儀で会った時も元気でしたが、先月の一周忌では調子が良くないと話していたそうです。
お通夜には同僚や同級生など多くの参列者が来ていました。
精進落としを戴いていたら、元夫のご両親が福岡から駆けつけてくれました。
離婚後も相手の親御さんとは仲良くしていて、娘のように可愛がってもらっていたようです。
私の従兄弟夫婦とも気さくに話をしていて、いい関係だなと思いました。
棺の中のまだ36歳の彼女はお人形のように美しくてびっくりしました。ブータンに行った時のお気に入りの服を着ていました。
彼女の母親や妹はパソコンもスマホもロック解除できず、今の子は紙で何か残すとかもないからお友達に連絡が取れなくて困っているとの事でした。
飾ってあった写真は何人かの友人から提供されたものらしく、どれも楽しそうな笑顔でした。
お別れはある日突然やってきます。自分が嫌になって離れたり、相手から距離を置かれたり、先に向こうの世界へ行かれてしまったり。
でもまたどこかで接点があるかもしれないし、ないかもしれません。
小学生時代から毎年友達が黄泉の国へ旅立つ経験をした私は、また別の時間軸で会えるような気がしています。
だから肉体を失ってもそんなに悲しまなくてもいいんじゃないか、なんて最近は思うのです。