なにかになろうとする民
子育てや介護のゴールがみえてくるとなぜか「何者かにならねば」と焦り出す人がいますがそんな必要ありますか⁇という私自身もそういう時期がありちょっとでも興味が湧いた講座やイベントにまめに参加してなにかやったような気になっていました。あれはなんだったのかしら、みんなが通る道なのかな(笑)
当時は遠距離介護がはじまったばかりで連日の徘徊で警察沙汰になる母に振り回され、なんとか心の平穏を保ちたくて坐禅会や法話会に参加し悟ったつもりになりたかったんですね。というかそうでもしないとやりきれなかったというのが現実。0地点になれる場をつねに探していたような気がします。だから熱心にヨガスタジオにかよいインストラクターまで取得したのでしょう。漢方スクールで学びだしたのもそのころ。

スピリチュアル、引き寄せ、潜在意識どうこうで宇宙と繋がる、この世は自作自演、自分でこの人生を選んでいるとかのワードもはやっていてその気にさせられた人も多いのでは。いまだにその類の発信をしている人がいて驚きますが結局は気づきごっこをやってるんじゃないの。
わざわざ問題を探しだして深掘りしそれで腹落ちするならそれもよいでしょう。しかしほおっておくことである日すべての点がつながり俯瞰できることもあるわけです。待てない人はなんらかのセッションを受けて正解らしきものを掴めばよいかもしれませんが時間が解決することもあってそのあいだをうまく楽しむのもありでは。他人の手を借りてガイドしてもらう方法もあるけれど、日々の暮らしを適当にしないとかまともな食生活とか地味すぎることをコツコツやっていくことも大事と思いますよ(呪いから目覚めた人より笑)