若い頃から睡眠時間の確保をメインに考えていました。
寝ずに遊ぶ、仕事するなど考えられません。
思えば自然と養生できていたようです。
しかし昭和の時代は寝る間も惜しんでなにかをやり遂げることが評価されていました。
いや、生物的に無理だし。つか自分はそんな気ないし。
周囲からは根性なしとかやる気のない人のように映っていたかもしれませんが、心身を消耗してまで手に入れたものに価値があるなど到底思えませんでした。
というよりそこまでする気もないですし。
それは今も変わらず、普段と違う疲れや眠気を感じたら早めに休むか横になるようにしています。
私が認知症の母の遠距離介護を10年やってきて倒れずにいられるのは、これまでのそうした小さな工夫によるところが大きいと思います。
限界まで頑張らない。
不調のサインを無視して空いた時間に無理な予定を詰め込まない。
まだやれそうとか、もっと頑張れるという考え方はとうの昔に忘れました。
ほどほどの塩梅を自分で知る。
身体は正直ですから自分にしかわからないアラームを出してくれます。
私は少し余力があるぐらいがちょうどいいと思っています。
わずかな余力で急な予定変更や親の健康状態の急変や地元でのふいな行事などに対応できるのです。
余力はそのまま心のゆとりにもなります。
いつもギリギリで詰まったスケジュールだと「寸分違わず」しか受け付けられません。
多少前後しても受け入れられる余白は心身ともに残しておきたいものです。