満洲で起きた悲劇
父の従兄弟が満洲開拓民として中国東北部に暮らしていたことは何度か書きました。1945年8月9日ソ連軍が侵攻してきて従兄弟の父親はシベリア抑留された、というところまで聞いていました。
語られなかった悲劇があった
葛根廟(かっこんびょう)事件という、多くの在留邦人が犠牲になったできごとが映画化されさっそくみに行きました。上映期間が年の瀬のわずか1週間だけしかもモーニングショーのみというハードルの高さ。
犠牲者は1000人以上
父の従兄弟の著書でも捕虜になるなかれという号令のもと集団自決のシーンが綴られており、我が子に手をかける半狂乱の母親や、現地の中国人にこっそり乳児を託しなんとか生き延びてほしいと願う人の姿が描かれていました(のちの残留孤児となった人々ですね)
棄民
ドキュメンタリーの証言者たちは当時の満洲帝国のわりと暮らしぶりのいい人々で、戦争はどこか他人事のような雰囲気だったようです。
しかしソ連軍が不可侵条約を破棄して攻撃してきたため、日本人居住区に回覧板が回ってきてラマ教寺院の葛根廟へ避難しそこから列車で脱出することになりました。関東軍は助けにこなかったのですね。
ソ連軍の射撃で犠牲になった人々と豪のなかで集団自決した人々で死体の山ができたそうです。
生還者たちの心情
たまたま政府機関に親が勤務していたなど恵まれた状況だった、葛根廟駅からの列車に飛び乗れたなどが重なり多くの犠牲者のもと生還したけれどなんだか申し訳ないような気持ちになる、と語る証言者たち。
みんな80歳すぎていま声をあげなければならない、という思いで顔出し実名で映像におさまっていました。
撮影した田上龍一監督の舞台挨拶があり、直接おはなしもさせていただきましたが戦争反対の意思表示のひとつとしてこの映画を撮ったのだということでした。
戦争というのはあとからどんなエクスキューズをしようと弁解は通じないものだ。歴史的には説明は一応されても悲劇はあとに戻らないのだから。
という生還者の言葉が刺さりました。