終戦後、満洲から我が家に引き揚げてきた親戚のおじさんと去年の夏に初めて会いましたが、昨年末亡くなっていました。
父と兄弟同然に育ったのに父が亡くなったことを知らなかった、お墓まいりしてお線香をあげたいとわざわざ連絡をもらいました。
ちょうど私の帰省の予定と被っていて、なぜその日を指定してきたのか不思議でした。
(私が大家さんを務めるピアノ教室の生徒さんの発表会を聴きに行く週でした)
またもタイミングがいい‼︎と思い、仏壇回りを整えてお茶菓子などを準備して待っていると、背筋の伸びた高齢男性と奥様が現れました。
私は彼のお兄さんの書籍の中でしか知らなかったので、ああこういう人なんだと初めて認識できたのです。
満蒙開拓団として一家で中国大陸へ渡り、終戦を知らされず関東軍にも見放され親ともはぐれ着の身着のまま宮城県の実家へ辿り着いたのです。
我が家でさまざまな思い出話をして、懐かしく庭を散歩したり従兄弟たちの近況を聞いたりして帰って行きました。
その翌月、私の母の容態が急変し9月に看取って、その時は肺の具合が悪く療養中だと電話で話していました。
母の四十九日の案内を出して最後に話したのが10月でした。
あ、やっぱり自分の死期ってわかるものなんだな。
だから父の焼香に高速を使ってまで来てくれて、お悔やみやお供物をあげてくれたんだ。
際どいタイミングで会ってお話しできて本当に良かった。