千葉一宮城を毎月往復している
よほどのことがなければ認知症の母の介護に毎月帰省する生活をしていました。他界しても相続事務や実家の維持管理のため同じペースで通っています。3月のお彼岸はお墓参りと車検を済ませ、さまざまな雑用と気晴らしをして帰宅しました。
緊急事態宣言の発令
全国レベルの緊急事態宣言ですから気軽に移動できなくなりました。町の自治会にも加入していますが会費を払いたくても払えません。区長さんから「来たときでいいよ」と連絡をもらいました。
祖父母の代からお世話になっている歯科医師さんは「落ち着いたら遊びにきて」と電話をくれました。
車屋さんはバッテリーあがり防止のため時々エンジンをかけてくれるということです。
ピアノ教室の大家さんをしていますが、小学校からの友人でもある講師が動画撮影に部屋を使ってくれています。
分家の叔母は近所で不幸があった方のお悔やみを立て替えてくれて、ついでに実家の網戸修理をしておくし、うちのお墓掃除もやっておくからとわざわざ連絡をくれました。
周りに助けられて成り立つ2拠点暮らし
周囲の皆さんの協力で2拠点暮らしができています。これは介護中から多くの人々に私の状況をおはなししてきたことにもよりますが、江戸時代から続く地域社会の一員として認識してもらえているおかげです。
ながねん息が詰まりそうなしがらみが苦しかったのですが、今ではそれに助けられているのですからわからないものです。