〇〇できたかもしれなかった
認知症の母の介護で片道400km離れた実家と往復した10年は自分の体調不良と満たされない心との伴走でした。幼少期に充分甘えられなかった、大人になってからはことごとく私の選択に反対する。そんな母でも愛してほしくて必死に気に入られるよう努力してきました。実りませんでしたが(笑)
認知症になってからは本家の嫁として買い集め役割を終えた家具・家財道具の始末に時間と労力を使い虚しさだけが重なっていきました。こんなに頑張っても感謝されるわけでもなし消耗していく自分をどうにかしてあげなきゃ、とそれまで時間や費用で躊躇していた習い事や興味のある集まりに参加しずっと私を悩ませる肩甲骨周りの痛みには保険の使えない治療を選びすり減らした心身を手当てしているつもりになっていました。
今ならわかりますがね、そこはゆっくり休むべきだったんですよね。でもその時は介護がなければできたはずの〇〇がとても惜しくてなんとか空いた時間に詰め込むことで辻褄合わせをしていたんですね。