若いころうらやましかった
そりの合わない親と長年音信不通で居場所も知らせていませんでした。それほど嫌だったんですね。変な手紙を送ってきたり職場に電話してきたり時間を持て余して干渉するしかやることがなかったんですかね。静かに距離を置くことにしました。
仲良く母親と連れ立ってカフェでお喋りしている人を見かけては死ぬほど羨ましかったものです。望んでも絶対手に入らない関係性ですからね。うまくいってていいなぁ。もう本当にそれしかありませんでしたね。うちときたらなんとか自分たちの思う方向へ進ませようとやっきになり思い通りにならないとわかると非難してくるような両親でお話し合いにすらならない。
しかし年月が経過し母が認知症になると私に頼らざるをえなくなりしだいに立場が逆転していきました。いわゆる毒親だった2人をひとりでしつけるのは難儀でしたが無駄な諍いで消耗した年月を回収するには絶好の機会でした。その後の経過はこれまで綴ったとおりですがすべての人に当てはまるわけではありません。若いころさんざん援助を受けた私のきょうだいは10年間1度も面会も介護もしないまま知らんふりを通しました。
実家が太いことで格差があるのは事実。そりが合わず孤立している家庭もある。 https://t.co/bZTuNqF1w7
— 竹中のぞみ (@carerers) 2021年11月1日
所帯をもったり病気になったとき都合よく太い実家に助けてもらっても最後の振る舞いで台無しになりますね。いずれどうなるかは推して知るべしでしょう。