そんなにいるの⁇
実家が魔窟のようなゴミ屋敷で片づけとバリアフリー改修に4年ほどかかりました。認知症で車椅子の母を在宅介護する環境をととのえるのに費やした時間は心身を削るもので、疲労がとれないところ父が突然死し母もすぐそのあとを追いました。そこから葬儀をふたつだして2回喪主をつとめ地獄のような相続事務を2年連続でこなし登記の変更、納税ともうクタクタです。
田舎ですから回忌法要もつどおこない住職と日程や用意するものの打ち合わせをし塔婆を書いてもらって本家の家督としての役割を果たしてきました。これら一連のセレモニーは心の区切りですがタイパコスパの未来には廃れていくのでしょうね。

実家の片づけしながら思ったのは「必要かもしれない」不安からの備えがいきすぎると不要になったときの後始末が困るということ。むかしは本家で冠婚葬祭をおこないましたから、ただくるだけの父の姉妹たちは母の負担も想像できず旅館と勘違いするようなもてなしを当然と思っていた、または母が勝手にそう思い込んでいました。
「あれがないと困る」「こういうときのために用意を」きりがないですよね。当時はそれが当たり前、母はやれる範囲で精一杯のことをしたのでしょう。来客用の寝具、食器、座布団やテーブル、水割りセットまでいつ誰がきても対応できるようにしていました。気苦労から認知症を発症した可能性は充分あります。結果8LDKの魔窟が完成しました。本当に必要なもの、使うかもしれないもの、年になんどか使うものの区別すらなく闇雲にモノをふやしたすえ処分代もばかにならず遺された私の負担は大変なものでした。
身銭を切ったことで買い物の段階からよく考えるようになりました。ネットでより手に入りやすい時代になったからこそ買った後の使用頻度や大切にできるかまで思考を巡らせるようになれたのです。ここから管理できる適量を知ったようです。