のぞみのデュアルライフ(遠距離介護とゴミ屋敷問題)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ

初発心起これば必ず正覚行ず

しょほっしんおこればかならずしょうがくぎょうず

 

ゆるく7年ほど通っていますが、昨年からのバタバタで参加できず久しぶりの坐禅会でした。

 

本堂がリフォームされてから初めてで、いい木の香りがしました。

 

入り口で久々にご住職にご挨拶すると「痩せました?」と。おそらくメンタルが落ちてやつれているのだと思います。

 

私の遠距離介護のことは打ち明けてありましたが、花園会(臨済宗妙心寺派の檀家の集まり)の勉強会に参加したことや、父の急死などお話しできずにいました。

 

でもそんな状況のときこそ心を落ち着けるために座ることが大事かもしれません。

 

どんなに多忙で他のイベントや用事が気がかりでも「来なければよかった」と思ったことは一度もありません。

 

25分×2の坐禅は他のことをしていればすぐに過ぎてしまう時間です。

 

敢えてなにも考えず動かず浮かんでくる感情を手放し、その先になにか成果や効果を求めるでもなくただ座る。

 

まさにイマココ。

 

いつも母の介護のことや、遅々として進まない相続事務や庭仕事などで頭のなかがざわざわしています。

 

静かな空間で深い呼吸で静寂と冷静さを取り戻せるような気がします。これは気がするだけで個々人によって感じ方は違います。

 

坐禅後の住職のお話しも楽しみで、この時期企業研修で坐禅指導の依頼が多いそうです。

 

最初に「座りたくない、興味のない方は外でお待ちいただいていいですよ」と声がけされるそうです。

 

なぜなら嫌々参加しても意味がないから。やらされ感で研修を受けても仕方ないからだそうです。

 

「これをすることによってどんな結果・成果がもたらされるのか?」と考える企業理念とは相反するものですからね。

 

座ったところで脚が痛くなって終わりかもしれない。なんだか心が穏やかになるかもしれない。

 

座ってみなければ結果はわからないということなんですね。

 

そこが腑に落ちると起こることを楽しめたり味わえたりできるのかなと思います。